電子書籍で人格読書法をするのは、かなり至難の業だ。
2月19日、『なぜ本を踏んではいけないのかー人格読書法のすすめ』
本は、踏めない。踏もうと思ったこともない。
だけど本とは、ただの物質であって、踏もうと思って簡単に踏めるものであるし、踏んだからと言ってちょっとやそっとで壊れるものでもない。
だけど多くの人は、意識的に無意識的に、本を足で扱うことはしないだろう。ましてや踏むなんて!
齋藤先生は、「本には人格があるから踏めない」と言う。
人格。
本には著者の生命と尊厳が込められている。著者そのものがそこに生きているようなものなので、本を踏むことは、著者の人格を踏みにじるに等しい行為なのである。(中略)私は、本を読む行為は、著者の人格の継承、メンターの精神の継承にあるとあると考える。(P13序章)
齋藤先生のすべての著書に首尾一貫してつらぬかれている考えが、この『人格読書法』なのだ。
本を「情報や知識を得る手段」と位置付けることもできる。確かに本にはそういう大きな役割がある。でもそれなら、インターネットさえ繋がっていれば十分という考え方もできてしまう。今、ネットがあるから本を読まないという選択をする人が増えているそうだ。かさばらず、大量の情報を持ち歩いているのだから、便利を追求する人間には、「本」など必要ないのかもしれない。
かくいう私も、kindle paper whiteを買い、何冊かを読んでみたことがある。薄くて軽くて、読みやすく、暗い部屋で読んでも、目に優しい。真昼の太陽の下でも読みやすい。なんて便利なんだろうと思った。
しかし、徐々に使用頻度が落ちていき、逆に紙の本がまた、本棚に並び始めることとなった。
電子書籍も良いのだが、なんだか本を読んでいる感じがしなくて、集中できなかった。それこそ、「情報を得ている」という感覚が99%を占めていて、「人生のとても大切なことを伝授してもらっているのだ」という感覚が薄れる。そうすると、読み終わった後、ほとんど記憶に残らないことに気づいたのだ。
電子書籍で人格読書法をするのは、かなり至難の業だ。
ただでさえ、内容を理解するのに多大なエネルギーを使わなければ読めない本を、さらにレベルの高いものにしてしまうとなると、私にはお手上げ。
だから、紙の本に戻って来てしまったが、やはり、紙の本を読んでいると落ち着くし、楽しいし、身が引き締まる思いがする。
要は、私は紙の本が好きなのだ。
だから、なくならないでほしい。「紙の本であるがゆえに感じること」が必ずあるはずなんだ。手触りや重みや装丁の美しさを楽しむこと。ページをめくる行為から沸き起こる、「読み進んでいる」実感、達成感。
本自体、とても魅力的な存在なのだ。
今現在、電子書籍3割、紙の本7割程度の流通量だそうだ。
7割って結構多いなと私は思った。
紙の本、このまま私が死ぬまでは主流の座を明け渡さないで欲しいな。
そして、私の著作もぜひ、実際の紙で本になってほしい。それを手に取った後であれば、いつ死んでもかまわない。