読了の向こう側に一体何があるのか

名著読了後の世界が知りたくなった主婦のブログ

1000000%無理だけど、この本を読んで慶応義塾大学に入学したくなった。

2月22日、『現代語訳 福翁自伝福澤諭吉著、齋藤孝編訳、ちくま新書、読了。

 

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

 

 

めちゃくちゃ面白いエッセイだった。

齋藤先生は日本で出版された書物の中で最も面白いエッセイだと言っているほど。

私の大好きなエッセイストはさくらももこ江國香織森茉莉だが、そこに福沢諭吉が追加された。

全然堅苦しくないのだ。本人の性格そのままに、カラリとした文体で、リズム感も抜群、すらすらと読めてすくっと笑える。

一万円札の肖像を二期連続で務めた、私などからすれば雲の上ほどの存在の人なのに、これほどまでに親近感が沸いてしまうと、なんだか親戚のおじさんみたい。

前半は、若かりし頃の塾生時代、こんな悪さしちゃったよ。根から性悪じゃないんだけど、酒やいたずらに明け暮れてさ!というやんちゃ自慢(?)話。こういう話があることで、読者をひきつけ、身近に感じさせ、話を聞きたいと思わせるのだろう。

齋藤先生も、こんなに偉い人でも神様の名前のあるお札を踏んでみて、「うむ、何ともない。こりゃ面白い。今度はこれを手洗いに持って行ってやってみよう」などという少年時代を送っているんだよ、面白いから読んでみて!

と言っている。

でも、私はそういう、男子の(女子もいるかもしれないけど)悪ふざけが大大大大大嫌いで。

子どもの頃から大酒のみで、塾生時代、貧乏だったにもかかわらず、少しでもお金が手に入ると(手に入らなくても、着物を売ってしまってまで)、仲間たちと酒盛りに次ぐ酒盛り。どんちゃん騒ぎ。裸で飲んだりしてたとか。

塾での生活は不規則と言うか不整頓というか、乱暴狼藉、まるで物事に無頓着。その無頓着の行きつくところは、世間で言うように清潔だの不潔ということを気にとめない。

この箇所を読んだとき、思い出したことがある。

私は高校時代、野球部のマネージャーをしていて、休日には練習試合のために、あらゆる高校に出向いていた。よく練習試合をしてくれる高校のひとつに、開成高校がある。言わずと知れた進学校、2019年、現役で東京大学に140人合格しているような、私の通っていた高校の偏差値とは比べ物にならない学校だが、ありがたいことに、とにもかくにも練習試合はしてくれたのだ。

その高校で、着替えをしたいと申し出た時に、もちろん女子更衣室もなければ、男子校なので女子トイレもない。案内されたのが1年生の教室。一歩足を踏み入れて唖然とした。

汚すぎた。

あまりにも……

床は足の踏み場が無いほど荷物で埋め尽くされ、雑然としていた。机のぐちゃぐちゃで整理整頓とは程遠い世界。

3方を黒板に囲まれた、月曜日になれば一流の頭脳が集まるその教室で、おどおどしながら着替えた思い出。

これが、超超超超進学校(男子校)の教室なのか……

やはり頭の良い男子たちの通う学校は何かちがうな……

とため息した覚えがある。

 

 

ちなみに私は不潔も大大大大大大大大大嫌いで。

もうね、いくら頭良くてもね、身の回りのことちゃんとできない人はだめよ……福澤さん。という感じでちょっと引き気味で読んでいた。

そうしたら中盤くらいに、

「鯛の肝だと嘘をついて、仲間にフグの肝を食べさせた」

などという悪ふざけエピソードが書いてあったものだから、ドン引きした。

 

うわぁ……

そういうことする人、めちゃくちゃ嫌い……

 

あのね、それね、殺人ですよ?

 

真面目か!と自分に突っ込みを入れたくなるけど、そこは真面目でいきたいよ。全然面白くないよそのエピソード。

 

まぁ、その殺人未遂エピを境にして、急に「でも我々はこんなことしてたけど、やることはちゃんとやってたよ?こんな感じで勉強してましたよ!」

という勉強方法紹介エピソードに変わるのだが、その落差の激しいこと激しいこと。めっちゃ勉強してるの、この方。この塾生たち。もうかっこいいのなんのって。すさまじく高度な勉強をされていて、そのギャップよ。

ギャップ萌え。

福澤はおどろくべき実行力があり、エネルギーがあり、物事のまん真ん中を常に見つめて間違わない人だ。

今回の読書感想文は大半が「引いた話」になってしまったが、それも含めて後半から鷲づかみにされるこの気持ち、皆さんどうぞ味わってみてください。

1000000%無理だけど、この本を読んで慶応義塾大学に入学したくなった。

なので、高校生以下の、若い人にほどおすすめです。

 

 

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)